24番札所:龍泉寺(通称:龍頭不動明王)

24番札所:龍泉寺(通称:龍頭不動明王)

ご詠歌

ふどうそん 朝日夕日に 照りはえて 法のよろこび 盡きることなし

宗旨
真言宗智山派
御本尊
大聖不動明王
寺宝
刀剣 (埜州住細川正規作) 県指定 / 涅槃図 (市指定) / 愛染明王図 (市指定)
住所
〒324-0051
栃木県大田原市山の手2丁目9-2

心のふるさと 奥の細道・関東路に建つ

昭和29年に誕生した大田原市は、奥の細道の関東路の宿場町であり、北国の大名が参勤交代時の御陣屋をもち、城下町としても栄えた。 現在では、旧黒羽町、湯津上村と合併し、人口七万余となった。

龍泉寺は、東は蛇尾川、北は三ノ丸、西は龍泉寺川、南は御壕用水落口とに接し、南から北に連なる丘陵をなす山を龍に擬らえ、 その先端頭部に位置するところから龍頭山の山号が、龍泉寺川の発湧する御用清水を龍の口に擬らえて龍泉寺の寺号が、そして御本尊大聖不動明王を奉安するところから院号が誕生した。

龍頭山龍泉寺の歴史は、那須の国狩野の庄福原郷小村 に草庵を建立、明応三年、大田原家の始祖大俵康晴公、那須家の客将として那須ノ国狩野ノ庄福原郷水口(現在の大田原市町島)に、小規模ながら城郭を築き、龍泉寺をその西方に移建し、菩提寺兼祈願寺とした。

時の住持第二十八世祐弁を中興開山第一世とした。大田原家六代の城主大俵備前の守入道永存資清公は、後奈良天皇の天文十二年に要塞の地である福原郷前室に、改めて築城し、その名も前室城あるいは龍体城と称し、明治の版籍奉還まで居城であった。
龍泉寺も水口から三ノ丸南に広大な寺域を賜わり、祈願寺及び城中仏事諸関係指図寺として、荘厳な寺観を完備した。

24番札所:龍泉寺(通称:龍頭不動明王)

盛時には、庄内に逐次十九ヶ寺を建立し、大いに宗風を宣揚した。
従領寺領百石の本寺龍泉寺も、明治には寺領没収となり、やむなく末寺十五ヶ寺を統廃合し、滅罪寺として再発足したのである。 しかし明治41年隣寺の火災により焼失した。北町末寺、明照院跡に仮堂を建てて移転する。
平成13年、開基第八十世淳雄僧正代に秋篠寺を模した新本堂が落成し、往時の美観をとりもどした。

郊外へ出ると、田園風景が広がり、おいしい米が豊富にとれる大田原市。
きょうも農作業に忙しい人々の、心のどこかに、むかしの人の願いと信仰が生きつづけている土地柄である。

 

【那須与一の里】
平安の昔、屋島の合戦で、源氏平氏の見守る中、沖の船上にかかげた扇を、馬上より見事に射抜いた那須与一。 その勇壮さは「平家物語」の中でも心に残るロマンです。
出身地福原をはじめ大田原市内には与一を偲ぶ遺跡が多くあります。