14番札所:延命寺(通称:身代わり不動尊)
ご詠歌
身にかわる 誓も堅し 揺るぎなき 巌に建てる 吾が救い主
宗旨 |
真言宗豊山派 |
御本尊 |
延命地蔵菩薩 |
寺宝 |
金剛・胎蔵両界大日如来像 / 金剛・胎蔵両界曼陀羅 / 弘法・興教両大師像 山号額・釈迦涅槃像・十八羅漢像縁起書 (小池坊快寿書) (心越書) |
住所 |
〒329-4423 栃木県栃木市大平町西水代1864-1 |
厳粛な空気の中に鋭利な知性が光る
小山市より、美しい呼名で知られる思川を渡って大平町へ入る。
この付近は一面の田園地帯なのだが、大小さまざまの森や丘が点在していて、近くの太平山頂から眺めると、まるで海の上に数々の島が点在しているかのようだ。 このため大平町は『陸の松島』とも呼ばれ、栃木の景勝百選のひとつとなっている。
延命寺も又、その島のひとつなのだろうか。周囲をたくさんの木々で囲まれた堂宇は、華美な装飾を一切取り去り、ただひたすらに清々しい。
建治年間(1275~1277)亮弁僧都が、永野川のほとり(現在「元屋敷」とよばれている地区)に、一宇を建てて、お地蔵様をおまつりして、地蔵院と称したのがこの寺の開基であると伝えられている。
中興開山秀範上人は、永和四年(1378)鎌倉管領の帰依を受けて、清瀧権現の鎮守とし、愛染堂を営んだが、康暦二年(1380)山号・寺号・院号を制定した。それ以来如意山吉祥院延命寺と称している。
応仁の乱の頃、法難に遭い、黒印所領を失い、寺門堂塔半壊、什物仏像多数を失った。 しかしながら、近在の檀信徒の信仰はますます厚く、本尊様の威光倍増して、寺門も興隆し、中本山正談林寺の格式を得た、寺領十町歩、末寺も七ヵ寺あった。
延命寺が現在地に移ったのは、承応元年(1652)七月、中興第十四世賢栄の時であった。 現在の本堂は、その後、幾たびか増改築されたが、外観は往時の面影を今に伝えている。
この本堂に掲げてある山号額は、明の帰化僧・心越が書いたもの。
心越は徳川光圀の厚遇を受け、書画の達人として、あるいは曹洞宗心越派の開祖として高名である。
この本堂には、本尊延命地蔵菩薩をはじめ、もと長谷往生院にあったといわれる弘法・興教両大師像、金剛・胎蔵両界曼陀羅など寺院の格式を物語るものも多くまつられている。
延命寺のお不動様は、身代り不動尊として厚く信仰されているが、これは十五世栄伝が貞亨五年(1689)矜羯羅・制咤迦両童子とともに開眼供養を厳修したもの。
不動堂には、このお不動様の他に三井寺の智證大師の神作になる由緒ある不動尊像もあるが、損傷著しく尊容を拝せないのは残念なことだ。
鍾楼門わきには、枝振りも見事な松の木がある。少なくとも五~六百年以上の樹齢と推定される。
延命寺の魅力は、こうした由緒や格式がその伶俐な空気を通じ、直接我々に伝わってくるところではないだろうか。