33番札所:妙法寺(通称:金色不動尊)

33番札所:妙法寺(通称:金色不動尊)

ご詠歌

むらさきの くも井もりくる がくの音を 妙なる法の 庭にきくかな

宗旨
天台宗
御本尊
水引地蔵菩薩
寺宝
金色不動尊 / 元三大師 / 阿弥陀三尊 / 四天王尊 / 千手観世音 / 即身仏 /古文書多数
住所
〒309-1227
茨城県桜川市本郷13

たち並ぶ尊像に千古の歴史を見る

茨城県の西部、水戸線岩瀬駅より約6キロ、桜川市の北西に位置し、栃木県との境の山を後ろにした妙法寺は、天台宗の古刹として知られる。

寺の歴史は古く、延暦年間(782~805)下野国大慈寺の広智国講師が、坂戸庄上野原地(現岩瀬町内)に草堂を創建し、千手大悲の像を安置、晶屋精舎(あきやしょうじゃ)と名づけたのがはじまり。
のちに慈覚大師円仁が関東・東北布教のとき師跡を訪ね、その際晶屋精舎に立ち寄り、それを再建し自作の地蔵菩薩を安置、阿炬那摩山顕法憧園(あきやまさんけんほうどうえん)と改称した。 したがって、草創を広智国講師とし、開基を慈覚大師とする。

延喜年間(901~922)には亭珍阿闍梨が中興、阿幾那摩山十輪院妙法寺と改称。
時はくだって、天慶の変の折、諸堂は灰じんに帰す。しかし、幸いにして、本尊地蔵菩薩が沼のほとりにのがれ、難を回避。 以来、水縁地蔵尊と呼ばれたが、後に、水引地蔵尊と改称した。

33番札所:妙法寺(通称:金色不動尊)

寛治年中(1087~1093)になると、板戸判官藤原範明卿が奥州討伐を祈願し、その宿願がかなったので、報謝のために堂塔を建立、塔中十か坊、末寺十か寺を有し、秋山地蔵院妙法寺と名称を改めた。

妙法寺の現所在地より、北東へ2キロほどの山上には、範明卿の古城址があり、かつて旧歴の7月16日には満灯会が催され、板戸の郷二十八か村より、灯篭をその山上に揚げ、冥福を祈ったという。
その後、応仁年間(1467~1468)に火事に遭ったりしたが、元亀年間(1570~1572)現在地(本郷)に移転。 慶安二年(1649)には、徳川三代将軍家光より朱印地を賜わった。

歴史の荒波を乗り越えてきた妙法寺。この寺にはとても珍しくかつ貴重なものが安置されている。
それは即身仏。舜義上人が入定して、ミイラ仏となったもので、参拝者も多い。

一方、本堂内に安置されている不動明王は、高さ二尺三寸五分の立像で、金色不動尊と称される。 二童子を従え、古来より必勝開運、諸願成就の霊験あらたか。その姿は、迫真の力にみちており、拝する人々に深い感銘を与える。

はるか南方に筑波の山なみを望める桜川市。いかにも山あいの町といった風景が広がる。人情も豊かで、訪れただけでホッとする。
妙法寺はそういった桜川市の代表格といえるだろう。