17番札所:瑞峯寺(通称:金剛不動尊)
ご詠歌
諸々の 厄難払う 火渡りは 金剛不動の 願いなりけり
宗旨 |
真言宗醍醐派 |
御本尊 |
金剛童子 |
寺宝 |
金剛童子尊像 / 不動剣並両童子 / 古峯原開山勝道上人尊像 / 鉄製大下駄 |
住所 |
〒322-0101 栃木県鹿沼市草久2239 |
山腹に響く荒ぶる鼓動
北関東の代表的な高原、古峯原。
ここは前日光高原の一部で、山岳宗教の発症の地として知られ、遺跡も数多い。 そこから少し下った、鹿沼市の西方古峯原街道沿い、草久の地に金剛山はある。
鳥居をくぐると、山腹に堂宇が点在する、特異な伽藍配置をなす寺。その歴史は古い。
およそ千二百年前、奈良の都が栄えていた天平宝字元年(757)、日光開山の祖・勝道上人によって開基された。 奥の院は、現在地より十キロほど離れた山頂(海抜約1400メートル)にある。 ここが古峯原で、その中央に大きな石が三枚重なった大岩窟がある。 そこに勝道上人が栃木市郊外の出流山満願寺奥の院で苦修練行したとき、その北西にそびえる山に不動尊の剣を感得し、修行したところと伝承されている。
上人はこの洞窟および長さ10メートルの舟石で座禅観法に耽けり、密教修念した。
以来上人は、日光開山の大願を発願し、遺弟・道珍法師に金剛界の大法を授け、この地を修験根本道場とした。 その後、後醍醐天皇の勅願により、建武年間(1334~1335)、大和葛城金剛山の分霊を奉じて、古峯原で修行を積む。 これが古峯原の金剛山と称する理由とされている。
鎌倉時代になると、日光山二十四世座主・弁覚僧正が熊野修験道を日光山に導入し、日光修験の基礎を築く。
以来、出流山より男体山までの禅頂行者の往来が盛んになった。
日光修験僧は金剛山の現在地より4キロ上の神社内に、金剛童子の像を安置して、金剛峯権現と称し、長く尊信していたものと伝えられている。
しかし明治初年、神仏分離令が出るや、明治以前に使用されていた古峯原金剛山の山号と、御本尊・金剛童子、ならびに不動明王を奉祭。 さらに古峯原金剛教会の名称をかかげ、現在地より300メートル上流に祭られていた。
が、大正八年の大洪水により、本堂、ならびに庫裏、宝物等一切流出して、現在地に移転。
したがって、現在の堂宇は比較的新しい。しかし、波乱の歴史は消そうにも消えない。
奈良の昔から連綿と続いてきた歴史。
山腹にひろがる寺だけに、平地での時の経過よりも、ゆっくりとしているようだ。
いまにも、前世紀の僧侶が現れてくるような不思議な魅力が金剛山にはある。