12番札所:遍照寺(通称:新宿不動尊)

12番札所:遍照寺(通称:新宿不動尊)

ご詠歌

尊さは 南無や大師の 遍照寺 大磐石に 信を置きつつ

宗旨
真言宗豊山派
御本尊
不動明王
寺宝
不動明王 (立像、両脇士付) / 榊原康政守護仏の十一面観世音 / 両界大曼陀羅
住所
〒374-0025
群馬県館林市緑町1丁目2-15

重厚な伽藍に歴史の重さを観る

昭和29年に市制が施かれた館林市。戦国時代末期に城下町として産声を上げ、江戸時代、親藩、譜代の城下として発展した、典型的な城下町。 その名残をとどめる市街地の中に遍照寺はある。

朱色が印象に残る山門をくぐると、そこは広びろとした境内。心なしか、気持ちが解き放たれていくようで、爽快この上なし。
右に目をやると、鐘楼が色とりどりの樹木に囲まれ、威光を放ち、まぶしいくらい。 少し歩くと、大日如来像が神々しく鎮座。そこから目を正面に向けると、本堂がどっしりと構えている。 これほどの大きさの本堂には、そうやすやすとはお目にかかれない。凛とした誇らしさが見る者をしばし圧倒する。
まだまだ見るべきものはたくさんあるが、客殿前の中庭にある黒松は一見の価値ありだ。推定樹齢四~五百年といわれ、見ごたえ十分。

建久九年(1198)、新田義重が両親の供養のために、現在の邑楽郡明和町矢島の地に建立したのが遍照寺。 そのとき、開山として慈観上人を迎えたと伝えられる。

12番札所:遍照寺(通称:新宿不動尊)

その後、約150年間は芳しくなかったが、北朝貞治年間(1362~1367)に、中興の祖といわれる俊海僧都が力を発揮し、大きく復興した。  天正年間(1573~1596)になると、当時の館林城主榊原康政から、境内地一町八反余りを譲り受け、現在地に移転。  慶安年間(1648~1651)には、幕府から十二石余の朱印地を与えられ、登城の際には、松之間総札格に列せられた。
このような歴史が、今日の重厚さあふれる遍照寺をつくりあげているにちがいない。
重厚。このことばがまさにぴったりの寺。

遍照寺のある館林市街を離れると、そこは広大な田園地帯。
農業の主流はそさい園芸で、おもに、ナス、キュウリ、トマトなどが栽培されている。 しかし最近では、農業から商・工業へと、産業構造にも変化のきざしがみえる。現に、数社の大企業の工場がすでに誘致ずみ。 刻々と時代は変化する。

しかし、遍照寺は我れ関せずといった風。それだけの貫禄と重みを感じさせる。思わず、おごそかな気分になっている自分に気づく。