2番札所:金剛院(通称:沼田成田不動尊)

2番札所:金剛院(通称:沼田成田不動尊)

ご詠歌

金剛の 玉と栄ゆる 大御代に なほさかえます 松の寿

宗旨
天台宗
御本尊
阿弥陀如来・成田不動尊
寺宝
金剛の船松 / 綾戸隧道開鑿日記
住所
〒378-0017
群馬県沼田市坊新田町1108

広大な大地から利根川を見すえて

群馬県沼田市は、県都前橋市の北方約30キロに位置し、古くは越後路への入口として、 昨今は尾瀬・水上・奥利根といった観光地の起点として発展を続けてきた。
市の北部は玉原湿原や伽葉山など美しい山岳地帯が続き、南部は片品川・利根川を下に見すえる台地上に市街地が広がっている。

北関東三十六不動尊霊場第二番札所・金剛院は、この市の南部・坊新田にその華麗な伽藍を展開している。
参道に続く仁王門をくぐると、正面に落ち着いた趣のある本堂、右手には朱も鮮やかな鐘楼が見える。 池にも立像の水掛け不動があり、諸難に悩む信仰をあつめている。

海王山善福寺金剛院は、かつて赤城山金剛院と云い現在の昭和村三室にあった。 赤城山の別当職であったこの寺院は、何時の頃か兵火によって炎上してしまった。
明徳・応永年間(1390~1427)三浦沼田氏の沼田五郎景次(太郎上野介景繁の三男)が上洛して出家、 上沼須町に寺院を建立したのが金剛院の開基となっている。影次は京都においては、愛宕山威徳院の別当となっている。

この後、一時寺運が衰微したが、寛正年中(1460~65)中興一世宏栄法印の時代に、 沼田氏より愛宕地蔵尊像・寺領・供養料を賜り隆盛。
又、沼田氏亡び真田氏時代となってからは、伊豆守信幸より百間四面の地を賜り現在地に移った訳である。(元和元年・1615)

2番札所:金剛院(通称:沼田成田不動尊)

しかし、金剛院はこの後数度の火災に悩まされることとなる。 ただしその都度、再建立されているのは歴代住職・檀越の尽力の賜物と言えよう。
現本堂は天明七年(1787)二十世・覚便法印によって建立されたものである。

明治維新前は上野東叡山寛永寺の末寺であったが、維新の際に寛永寺が焼失したため、比叡山延暦寺の直寺となっている。
そして、明治14年・二十八世亮海法印の代に成田山新勝寺より不動明王勧請する。
この後、信者団体である成田講(現沼田成田山金剛講)が結成され現在に至っている。

前にも述べたが、沼田は近隣に老神温泉や川湯温泉、武尊山などの観光地や、スキー場、キャンプ場など四季を通じてのスポーツ施設に恵まれた土地柄である。
巡礼といった形式でなく、そうしたレジャーの後に立ち寄り、天台密教特有のおごそかな雰囲気に触れるのも又良いだろう。
金剛院で毎年行われる節分会追難式は、郡市をあげての一大祭典になるという。