35番札所:慈光寺(通称:弓田のポックリ不動尊)

35番札所:慈光寺(通称:弓田のポックリ不動尊)

ご詠歌

慈光てら 大慈大悲の みひかりは こころのやみも てらすなりけり

宗旨
天台宗
御本尊
不動明王
寺宝
阿弥陀堂の格天井に描かれている湯浅又兵衛作の百人一首  五姓田芳柳二世七才時の絵画
住所
〒306-0607
茨城県坂東市弓田388

不思議な霊験ポックリ不動尊

平安時代中期の武将平将門(?~940)との関わりが、きわめて深い岩井市。
慈光寺は、岩井市の北のはずれ、広大な田園地帯にある。

正門を入ると、正面に静寂さをただよわせる不動堂が、凛として建つ。
その右奥には、風格のある本堂が、静かに構える。本堂を背にして、左前に目をやると、鐘楼があたかも孤高を保っているかのようで興味深い。

慈光寺の歴史は非常に古く、奈良時代に始まる。
天平十八年(746)に、すべての悪魔を退散させ、世の中を平和にする、とされる衆魔降伏、真理円融の道場として、行基菩薩の高弟が創建。同時に、不動明王が祭られた。 当時は、法相宗に属し智恩院と称される。

平安時代にはいると、将門が石井(岩井の前身)に営所を構える。以来、智恩院を鬼門除けの本尊として、また、厄除けの守り本尊として深く信仰していたと伝えられる。 鎌倉時代の初め、伝教大師の法孫・俊乃上人が下総に派遣され、岩井市大字大谷口泉福寺を薫ずるに至り、智恩院も天台宗に帰属。と同時に寺号を慈光寺と改め、今日に至る。

35番札所:慈光寺(通称:弓田のポックリ不動尊)

戦国時代の末、天正四年(1576)、下妻城主多賀谷氏と弓田城主染谷氏との激戦の際、戦火に遭ったが、不思議な霊験により、千古の秘仏不動明王の像はいちょうの大木によって、火難を避けられた。  阿弥陀如来は火灰を止めて阿弥陀堂とともに戦火を回避したが、これ以外の堂宇はすべて焼失。

そこで、不動尊を阿弥陀堂に安置。以来、不動尊を信仰すれば、その願いが阿弥陀如来にまで伝わり、とくに、臨終に際しては苦しみもなく、枯木が枯れるように、 ポックリと人生をおえることができるという信仰が広まり、いつしか「ポックリ不動様」と呼ばれるようになった。 しかし、明治にはいり信者の増加につれて、ポックリと諸願が成就するという信仰が着々広まっていった。
これが、通称「ポックリ不動尊」の由来。なかなか面白い。

慈光寺の近くを流れる利根川は、岩井と東京との交通を長年阻んできたが、昭和33年、芽吹大橋完成後は、岩井も急激に発展。  市としても「緑豊かな田園都市づくり」をキャッチフレーズに行政にあたっているという。

国王神社や延命院など、平将門の遺跡を残す岩井市。慈光寺も将門抜きでは語れそうもない。