31番札所:大聖寺(通称:土浦大師不動尊)
ご詠歌
ありがたや 羽黒不動を拝むれば 背負いし罪も 消え失せにけり
宗旨 |
真言宗豊山派 |
御本尊 |
大聖不動明王 (市指定文化財) |
寺宝 |
奥本尊大日如来 (五代将軍綱吉公御祷願の為に造立された) / 両界曼茶羅 簾天神名号 / 大聖寺蔵文書 / 大聖寺山門 / 大聖寺四脚門 / 石像大日如来 |
住所 |
〒300-0817 茨城県土浦市永国203 |
広大な山内に品格が漂う
東に霞ヶ浦を望む水と緑の城下町、土浦市。羽黒山今泉院大聖寺はその南部、永国に大伽藍を構える名刹である。
茨城県最大といわれる本堂・大聖殿を中心として、客殿・護摩堂・大師堂・世界平和観音・大杉殿・山門・四脚門・ギャラリー等、見所も多く、伽藍の総面積も七百坪に及ぶ。
一万五千坪の境内は鬱蒼とした数百年の樹木に包まれ、春は桜、秋は紅葉に彩られ、四季折々、里山の自然に触れることができる。 境内近辺に生息する野鳥も多く、タヌキ、ハクビシン、イタチ、ノウサギ、モグラ、コウモリ等も生息している。 過去30年間に確認された野鳥は100種を超えている。今なお春夏秋冬70種の野鳥が毎年観察されている。
大聖寺の歴史は遠く長徳元年(995)成尊僧都が永国の地に今泉寺として開山したことに始まる。
その後、小田孝朝により小田城の四方護寺の一つとして、田中荘平塚(つくば市西平塚)に移された時期を経るが大永六年(1526)には現在地に戻っている。
当時はまだ常陸国長国今泉寺大聖院と称していて、現在の寺号「大聖寺」に改名されるにはさらに五十年程待たなければならない。 延享二年(1745)には門末併せて一六〇ケ寺の頂点にある本寺として栄えたが、大聖寺はまた火災に苦しんだ寺院でもある。 特に文久三年(1863)には修復成ったばかりの二百二十坪を焼失し、以後122年間は本堂のないままの寺となる。
現本堂「大聖殿」はその様な歴代住職、壇信徒の悲願を背景に昭和60年(1985)に落慶した。
明治30年の客殿の火災で運慶作の不動明王を失って以来、色々の変遷を経て大日如来を本尊とする時代もあったが、
新本堂落慶を機会に旧に復して再び元の不動明王(現、市指定文化財)を大聖寺本尊に戻し、大日如来は本尊不動明王の背後の宮殿に納め「奥本尊」とした。
この奥本尊大日如来(胎蔵界)がこの程、解体修復の時期を迎え、解体したところ頭部の顔面部内壁、後頭部内壁の裏面からそれぞれ墨書が発見された。 これによって、五代将軍綱吉公御祷願の為に三嶋惣検校安一によって造立された大日如来であることが判明した。 平成22年6月に修復完成し、入佛開眼の予定となっている。
また広い境内を有効に生かし、平成元年に千四百数十メートルの四国八十八箇所ミニ霊場が開創され、多くの人々が巡拝している。
納められたお札は毎年住職が先達となって参加者を募り、納められたお札を本四国霊場へお届けしている。
因みにこれまでに本四国霊場へお届けした納札の枚数は35万余(約3900名)に達している。 大聖寺では常時参加者を募って本四国霊場へご案内している。