21番札所:慈光寺(通称:雨乞不動)
境内に漂う清楚な空気
宇都宮市の北北東に位置する喜連川。
かつては旧奥州街道の宿場町として栄えたこの町も、明治維新後は東北本線・国道四号線から離れてしまい、むかしの面影が薄れたかのようであった。 しかし最近になって、良質の温泉が湧出したのを機に、温泉を利用した観光開発にとりくみ、徐々にではあるが以前の面影をとりもどしつつある。
そうした街、喜連川の中心地にあるのが慈光寺だ。
山門をはいると、向かって右側に由緒ありげな松の木が一本。思わず様ざまな想像をかきたてられる。そしてつきあたりが本堂。 近年ふきかえられた屋根の左右には、足利家の家紋があり、威光を放つ。
ほかに地蔵堂などがあるが、寺宝の多くは、1キロメートルほど離れた薬師堂に収められている。
小高い山の階段を頂上まで登ると、樹木がうっそうと茂った中に、鮮やかな薬師堂が目に飛び込む。そこには仁王堂と常夜塔が静かに建っており、いかにも薬師堂を守っている風だ。
慈光寺は霊地として日譽により開山、当初は歓喜院と称していた。永禄五間(1563)には、塩谷伯耆守の祈願所となる。 天正十八年(1590)、喜連川国朝公が領主をしていたとき、歓喜院から慈光寺に改称。祈願所とするとともに、寺領高三十石を賜った。
その後、慈光寺第十二世尊賀(権大僧都)が、宝暦四年(1754)、二夜一昼雨乞いの法を修し、効験有りて領主足利家より十六善神画像を拝領。 開山してから十五世にあたる良順が住職をつとめていた文化三年(1806)、寺が類焼。堂塔はことごとく灰と化す。同十年(1813)、良順は本堂と庫裏の再建を図る。 それ以降二十四世にあたる恵諄の時代に至るまで、大小さまざまな修理を加え、仮本堂を建立。現在の本堂は大正10年(1921)に新築された。
慈光寺の入口近くには郵便局、その奥に支所がある。一歩街の中心を離れると、そこは田園地帯。
町村合併で隣の村といっしょになったため、農家が多い。産物は米が主流だが、果物・野菜類も豊富にとれる。 リンゴ、イチゴ、ナス、ニラなどは有名。中でも温泉ナス、イチゴはハウス栽培され、東京地区へ出荷されている。
アユの養殖も盛んな喜連川。街の入口には300メートルも続く桜並木(早乙女の桜並木)があり、眺望はまさに壮観。気分も爽快この上なし。
慈光寺への期待はいやが上にも広がる。それに応えてくれる寺院だ。