4番札所:不動寺(通称:松井田不動尊)
ご詠歌
その上は 幾代経ぬらん たよりにも 千歳はここに 松井田の宿
宗旨 |
真言宗豊山派 |
御本尊 |
千手観音菩薩像 |
寺宝 |
不動明王 (県重文) / 仁王門 (県重文) / 不動明王像三幅対石塔婆三基 (県重文) 葵紋付護摩器一式 / 弘法大師筆心経 / 武田家書状他古文書多数 |
住所 |
〒379-0222 群馬県安中市松井田町松井田甲987 |
松井田からの妙義山は絶景
中仙道・松井田の宿は、峻険な碓氷峠直下の宿場町としてあまりにも有名だ。 数々の山容を誇る上州でもこの松井田から眺める妙義山は、我々巡礼者をひときわ魅了する光景といえる。
龍本山松井田院不動寺はその妙義山を右前方に臨む高台に建つ、由緒多い古刹である。
中仙道・松井田バイパスなか程から松井田町中心部へ下っていくと、その歴史を象徴するかの様に、切妻造り仁王門が姿を現す。
間口6.4メートル、奥行3.8メートルの朱塗り木造単層で、元和年間から寛永の作と見られるこの門には、阿吽二体の仁王像が納められ、
欄間の彫刻などにも安土桃山期の豪壮な工風が遺る逸品といえる。
また、この仁王門の前には、更に古く足利尊氏の最盛期頃に造立された、県重文・石塔婆三面がある。
これはかどの取れた自然石に梵語を刻んだもので、それぞれ南碑・中央碑・北碑と呼ばれている。
特に、北碑に「円観」と銘が入っているのは興味深い。「円観」は当五朝国師の異名がある歴史上の高僧。
これらの碑に観応三年(1352)とある事と考え併せると、既にこの時代から不動寺が名刹であった事に疑いはない。
開山は寛元元年(1243)下野の国司にして、「留興長老」の号を賜った慈猛上人によって成された。
元亀天正年間には武田信玄公により寺領を賜り、徳川の治世になってからは、三代将軍・家光公の帰依が篤かったため朱印八十九石余を拝領、
往時は「成就院」「満昌寺」をはじめ十七か寺の末寺があった。
仏具などにも「葵の紋付き」の品が多く、武田家ゆかりの古文書とあわせて寺の格調を偲ばせてくれる。
本山移転地(寺)、独礼席格、中本寺、常法談林としての格式を得て、江戸時代を盛りとして激しい時の移りかわりに遭いながらも七百七十有余年の歴史と法燈を継いできたのだ。
不動堂に安置されている不動明王は、鎌倉初期・中央仏師の作と推定される総高26.2センチメートルの小座像であるが、優秀精巧な技法のため、
像の小ささを感じさせぬ迫真力を持っている。
旧記によると、「境内老松のもと泉あり、そそいで民田に到る。松井田の称ここに起る」とある。
遠い歴史に思いを馳せるには、格別の地といえよう。