19番札所:宝蔵寺(通称:成田不動)

19番札所:宝蔵寺(通称:成田不動)

ご詠歌

後の世を 願う心や 照らすらん 光明山に 宝納めて

宗旨
天台宗
御本尊
阿弥陀如来坐像
寺宝
不動明王 / 普賢菩薩坐像 (法眼院広作) / 来迎の阿弥陀三尊図 / 梵鐘「およりの鐘」
住所
〒320-0811
栃木県宇都宮市大通り4丁目2-12

喧騒の中にやすらぎを求めて

東北新幹線の開通とともに、年々発展を続ける北関東最大の都市、宇都宮。
その中心を東西に走る大通りは、有名百貨店や映画館が立ち並ぶ、まさに宇都宮の“顔”だ。
宝蔵寺は大通りの東端に位置し、文字通り都市の寺院といえる。

宝蔵寺創建の歴史は古く、記録には天安元年(857)とある。建立地は現在の高根沢町。寺に残る資料はその歴史を次のように記している。

天慶二年(939)、平将門が乱を起こした際、将門を降伏させるようにとの朱雀天皇の命令を受けた広沢遍照寺寛朝大僧正は、高雄山神護寺不動堂の本尊を持って、海路下総(千葉県)に渡り、降伏の祈願をした。 するとたちまち不思議な力が現われ、猛威をふるっていた将門も全滅し、東国は平定。この時に、東国鎮護のため伽藍を建立し、成田山新勝寺の基を築いた。

その際、下野押領使(おうりょうし)田原藤太郎秀郷は、この不思議な力に感動し、不動尊の分身をもらい、それを持って宇都宮に来た。そして恩に報いるために、しあわせを祈って二里山に不動堂を建立したのだ。

19番札所:宝蔵寺(通称:成田不動)

その後、寛治元年(1087)、宇都宮宗綱が二里山に粉河(こかわ)寺を建立した際、不動堂を境内に移し、代々宇都宮公の信仰の対象となった。 しかし、慶長二年(1597)、宇都宮國綱の追放により、粉河寺が廃滅の危機に瀕するが、明治維新の廃仏毀釈とともに、現在地に移転。 さらに太平洋戦争による被災にみまわれながらも、昭和58年、現在の不動堂を復興した。

まさに、激動の歴史を刻んできた宝蔵寺。その歴史を今日に伝えるもののひとつに、有名な梵鐘がある。
「およりの鐘」と呼ばれるこの梵鐘は正和三年(1314)に鋳造されたもので、口径80センチ、高さ143.3センチ、厚さ8センチ。いかにも歴史と威容を感じさせる。

何百年もの間、毎日豊かな余韻を響かせつつ時を知らせ続け、その音は、遠く一里(四キロ)四方まで聞こえたそうだ。旅人は、その音に心を慰め、庶民は毎日の生活のリズムとして安心して仕事に励んでいたという。

「およりの鐘」のすぐ前は大通り。 きょうも秒刻みで大小さまざまなクルマが行き交う。忙しい都市の姿がそこにはある。 そんな喧騒につかれた人々の憩いの場でもある寺院。それが宝蔵寺である。