20番札所:崇真寺(通称:開運犬切り不動尊)

20番札所:崇真寺(通称:開運犬切り不動尊)

ご詠歌

法の道 誓いを結ぶ 崇真寺 慈悲の恵みに 雲晴れの月

宗旨
真言宗智山派
御本尊
胎蔵界大日如来 (県重文)
寺宝
掛軸 白衣観音像 (県重文) / 緋綱代編の大名龍 (菊の御紋入り)
住所
〒321-3303
栃木県芳賀郡芳賀町大字稲毛田1400

広々とした境内に古の栄華を思う

県都・宇都宮の東方に位置する芳賀町は、南北に五行川を走らせた肥沃な純農村地帯だが、一方では雑木林を切り拓いての工場敷地化も見られる土地柄である。 稲毛田山金剛王院崇真寺は、町の中心地・祖母井より約2キロ北上した稲毛田に伽藍を構える古刹である。

この真言密教の道場へ巡礼して驚くのは、その境内の広大さだろう。  「開運不動明王」と刻んだ石柱を右に見て大門をくぐると、まるで学校の校庭かと見粉うばかりの境内。
そこに、本堂・不動堂をはじめとする諸堂、石碑石塔群を散らした伽藍配置は、大和の古寺にも負けね美しさと大らかさを見せてくれる。 現本堂は仮本堂で、火災で焼失した元本堂はすばらしくも大きな建物であったという。残念なことだ。

崇真寺の由緒も又古い。
聖武天皇代の神亀五年(728)九月、天に吉星現われ、四つに割れて各地に落ちたという。ひとつは宮中に落ち、 ひとつは尾濃の谷間に、又ひとつは信州川中島に落ち、もうひとつが下野芳志戸(現芳賀町芳志戸)に落ちたと伝えられている。
これをある天文博士に命じ占ったところ、天下泰平の兆しであるので、その四か所にお堂を建立せよとのことであった。 そこで芳志戸にお堂を建立、金剛王院と号し高僧妙尊上人をむかえたのが崇真寺の開基。

20番札所:崇真寺(通称:開運犬切り不動尊)

初代住職妙尊上人から十世までは皇族出身の僧侶といわれ、昔日より高い格式を得ていた。現在、山内の役瓦に菊の御紋が入っているのもこのためと思われる。
江戸時代に入ってからは、幕府より御朱印二十石を賜り、往時は末寺百八ヶ寺・常法談林・十万石の高い格式を得て、寺は隆盛をきわめた。
現在の不動堂は無道閣と称し、後陽成天皇代の天正十年(1582)建立された。

安置される不動明王は身の丈三尺三寸の立像で、大同二年(807)弘法大師一夜の作と伝えられ、広く信仰をあつめてきた。 このお不動様には、寺に悪さをし続けた子牛ほどの犬を切り、疑われた小僧の潔白を明らかにした、との言い伝えがあり、俗に「開運犬切不動尊」と呼ばれている。

下野には三金剛といわれる寺院がある。金剛寿院と金剛定寺、そして頭格の金剛王院崇真寺。
その広大な境内には枝垂れ桜が立ち並び、春ともなるとその寺格に相応しく、華々しい様相を呈するという。

一度参詣すると、何故かもう一度訪れてみたくなる寺院があるものだが、崇真寺もそのひとつといえよう。