18番札所:持宝院(通称:多気不動尊)

18番札所:持宝院(通称:多気不動尊)

ご詠歌

あらたかや 願いをさずく 不動尊 衆生を護る 多氣のみ山に

宗旨
真言宗智山派
御本尊
不動明王
寺宝
不動明王 (市文化財)/寺叢 (市文化財)/十六羅漢屏風
住所
〒321-0343
栃木県宇都宮市田下町563

参詣者が絶えない県内屈指の寺院

金剛山を出て、鹿沼街道から国道293号線を北東に行くと、大谷に出る。
この山門の先には本堂を目指して石段が続く。
両側は樹木に囲まれている。古くから石の町として知られる大谷。地下採掘場跡は、かつての大谷石採掘のようすを今日に伝えている。

そこから車で5分ほど走ると、多氣山で知られている持宝院の山門にたどり着く。
さらになだらかな坂道を登り、石段を踏みしめると、すでにそこは多氣山の中腹。 石段を最後まで登っていくと、心地よい疲労感をいやしてくれるかのように、本堂、観音堂、少し離れて鐘楼堂が建ち並ぶ。

持宝院の歴史は平安初期にさかのぼる。
弘仁十三年(822)、日光開山勝道上人の弟子・尊鎮法師が、ある時、夢知らせにより、多氣山の霊気を知り、早速、馬頭観世音菩薩を本尊として、堂宇を建立。これが開基とされている。
建武二年(1335)の8月1日、宇都宮六代城主・公綱により、今の本尊不動明王が安置され、以後多くの人々に信仰され、現在に至る。

18番札所:持宝院(通称:多気不動尊)

この不動明王には興味ある逸話が尽きない。
天暦三年(989)3月28日を選んで、源頼光が、多田義仲の子、多田の法眼、後の円覚上人に請い不動尊像の作仏を願った。
上人はさっそく紀州熊野の那智山へ行き、その山中の霊木をいただき、一度刀を振るごとに三度ずつ礼拝を重ね、ついに同年秋にその仏像ができあがり、直ちに開眼の大供養を行なったという。
その頃、丹波の国大江山に鬼が住みつき、多くの民衆に悪害を及ぼしていた。
これを聞いた頼光は、鬼を退治するために不動明王の尊像を安置して鬼神折伏を祈願。すると、たちまちにして、大江山の鬼を平定してしまったという。

頼光はその霊験があらたかなのを感じ、その後、比叡山の鬼立滝に安置した。
お護摩その後、源頼義、義家父子が奥州の安倍頼時とその子貞任、宗任を討伐した前九年、後三年の役(1062年)の折、氏家勝山城で戦勝祈願をして、安倍一族を平定することが出来たといわれる。

その不動明王尊像が、今まさに持宝院の本堂に安置されている。
尊像の歩んできた歴史はけっして平たんではなかったはず。その不動明王とともに、歴史の荒波をのりこえてきた持宝院。
今日では、参詣者も年々増加して、県内屈指の寺院にかぞえられている。 参詣の折には、きっと不動明王の霊験に触れられるにちがいない。