32番札所:一乗院(通称:開運出世筑波不動尊)

32番札所:一乗院(通称:開運出世筑波不動尊)

ご詠歌

もろびとに 利益授くる 不動尊 情筑波の 深き谷川

宗旨
真言宗豊山派
御本尊
不動明王
寺宝
桃山時代作仁王像 (阿吽両体) / 不動榧 (樹齢800~850年) / 五輪塔 (歴代住職の墓石)  徳川葵文朱印状箱及び朱印状 / 本尊乾漆不動明王座像 (桃山期)
住所
〒300-4351
茨城県つくば市上大島2594

万葉以来の風土の中に祈る

筑波の地は万葉集以来数多くの歌に詠まれているところである。
江戸の人にとって関東の名山美峰と言えば筑波と富士であった。その歴史ある風土の中に一乘院はある。

一乘院の開山は法相宗の学僧徳一上人である。
寺伝によれば徳一上人は大同二年(807)に筑波山の四方に各一ヶ寺を建立されたという。 その西側に建てられたのが一乘院である。

しかし、当初建てられた場所は現在地より山を2キロメートル近く登ったところであり、真福寺跡と呼ばれ、茨城県の遺跡地図にも載せられており、布目文様の平安期の古瓦などが出土している。  そしてこの古瓦には火災の跡が見られるものがほとんどである。平安時代の山岳寺院であった一乗院真福寺は、何らかの理由により炎上したものと思われる。
その後、一乘院は少しだけ山を下ったところに再建された。現在この地は前峯廃寺跡と呼ばれ、鎌倉、室町の陶器などが出土している。

当初、法相宗で始められた一乗院は山岳信仰である修験道などを加味しつつ、室町時代には真言宗に定まり、京都醍醐寺三宝院(門跡寺)の直末となり高い格式を誇ることとなるも、戦国時代末期には兵火にかかり灰燼に帰してしまう。
約八十年の時を経て時は江戸時代となった慶安元年(1648)源範上人が現在地に堂塔伽藍を復興する。 徳川幕府より寺領を安堵され朱印地も賜り、三十八ヶ寺の末寺を有することとなるも、幕末の嘉永六年(1853)またも火災に遭い烏有に帰してしまったが、人々の信仰に支えられ今日に至っている。
尚、明治17年中興より二十世智元僧都の代より豊山派の寺院となっている。

32番札所:一乗院(通称:開運出世筑波不動尊)

一乘院は山の寺であり筑波山の自然につつまれた寺である。  参道石段脇では様々な花が楽しめる。桜、紫陽花、石楠花、沙羅、楓、等々数多くあり、晩秋の紅葉もまた美しい。 桜の原種の一つであり、筑波山中に一本しかないカスミザクラも四月には花をつける。
山門脇の水舎の水は山の湧水であり、銘水と言われている。

境内に「不動榧」と呼ばれる樹齢八百余年と言われる古木がある。 中興源範上人が伽藍復興の折、この木に落雷があり、その炎の中から不動明王が現れたと言う伝説がある。 雷が落ち二又となっても枯れることなく生き続けている霊木である。

万葉の時代より、人々は山に霊的なものを感じ今日までその祈りがつながっている。 不動明王の霊力と山の恵みを感じられる寺が一乘院である。